卒業後の話

協力隊活動

アイコンは1月下旬下刈りで入った現場の風景。南国高知のイメージを感じさせない、素晴らしい景色ですよね。

まえがき

今年度も残すところあと2か月になりました。そうなると3月で協力隊を卒業する人の話もけっこう具体的な話となってきます。

更にはつい先日に役場の担当者と面談する機会があり、自身の卒業後の話についても話をしましたので、思考の整理もかねて今回つらつらと書き出してみようと思った次第です。

私の所属する協力隊にも3月末で協力隊を卒業する人が1名いますが、その人は卒業後どうするのかというと、残念ながら県外に出て事業体へ就職するそうです。つまりは協力隊としては受け入れが上手くいかなかったという事、端的に言えば失敗という事ですね。

この辺りは家庭環境、主義主張、年齢、色々な要因が絡まってくるので一概に何をどうすれば良かったとは言えないですが、彼のそういった考えを上回る何かを提示出来なかったという訳でしょうがないです。

ただ、個人的には彼の選択は理解できます。彼は非常に若い年齢で協力隊にやってきていたので(初めての就職が協力隊)、そこを考慮すると納得ですし、むしろそうすべきかなと私も思います。その辺りの考えについてはまた別枠で書こうと思っているのでここでは控えます。

別自治体所属協力隊の場合

では、他の自治体の協力隊はどうなるのか。隣町の協力隊には3月末で卒業するメンバーが2人おり、話をチラッと聞いたので知っている範囲で書きます。

先ず2人とも共通しているのは個人事業主として活動し、山の購入もするという事。山という不動産を手に入れるという事は、この先もその土地で生計を立てていくという意思表明ですよね。そしてウラジロを植えて数年後にそれを収穫し販売するようです。

ウラジロは正確にはウラジロガシ(裏白樫)といい、ブナ科コナラ属の高木です。何故これを植えるのかというと、ウラジロはこの辺りが適地の様でよく成長するからです(笑)。もっと言えばこのウラジロの葉の成分が結石を溶かす効果があるらしく、その薬を隣県の会社が製造している関係で私がいる高知の嶺北地域ではウラジロの出荷が盛んなんですよね。ただ、ウラジロなら何でも良い訳ではなく、その会社の認定士が認定したウラジロのみ出荷が認められているらしいです。ただ、この辺りはうろ覚えなので認識が違っているかもしれません。

他は組合の仕事を受託したり、協力隊卒業生が設立したLLPの仕事を共同でやったりする様な話もしていました。

ウラジロの話は地域性が出ていて面白いですよね。こういう地域の色を活かした仕事は自分も考えの中に有ります。

また、梼原町の下村さんは在任中に任意団体を設立し、卒業後それを法人化し地域や企業・団体と上手く連携しながら活動をされています。自分としてもこれくらいのペースで段取りをしていければいいなといった理想の一つの形で下村さんは活動されていますので、今の自分には参考にすべきところが多い方です。

卒業した先輩の場合

さて、それでは一番身近な存在で同じ街の既卒の先輩はどういった活動をしているのかというところです。現在のところ私の街では林業の協力隊を卒業した人は合計で4名おりますので、簡単にですが以下に書き出していきます。

1人は家具製作を行う傍ら、下刈りとかの作業を行っているという話を以前聞きました。どうしてこんな漠然とし過ぎた言い方になるのかというと、この方は自分が入る2年前に協力隊を卒業しており、その後も協力隊と関わる事が無い方なので全然話をした事がないからです😅ただ、稀に協力隊の倉庫に出入りをしているらしいです。

1人は個人事業主となり、LLPを立ち上げて活動をしています。ただ、基本的には協力隊の指導者的立場として活動する事が多く、月の大半を協力隊と一緒にいる事が多いです。そんな訳で基本的な収入は協力隊の指導で出ている日当がメインだと話してくれてます。ではLLPは全く活動して無いのかというとそうでもなく、県外の小中学校が遠足で私の街へ来た時に行う木工体験はLLPとして活動しています。

1人は役場で林政アドバイザーとして会計年度職員として働く傍ら、上の方と一緒にLLPで活動していますが、役場の仕事も忙しいので現場に出てくる事は殆どありません。ただ、月一のミーティングはこの方が中心となって開催していますし、自分達が受講している研修等に出てくる事もあるので、会う事はけっこう多いです。

そして最後の一人、この方は昨年卒業された方ですが、この人は親と一緒に仕事をしています。この方の家はもともとこの街で林業を営んでおり、今でいう半林半農という生活をずーっと営んでいるそうです。なので、ゆくゆくは家業を引き継ぐ事になります。協力隊に入る前は県外でサラリーマンをしていたので、Uターン組になります。

さて、自分は?

以上の事を踏まえて自分はどうするかという話になります。

卒業した4人の先輩の軌跡は・・・、正直あまり指針にならないというのが感想です。先ず私は移住者なので引き継ぐ家業がないというところで4人目のルートはありません。次に会計年度職員としても役場で働く予定は今のところないので、3人目の方のルートもありません。じゃあ協力隊の指導者として常に一緒に入って稼ぐのか?いや、それもない。現場指導者とはいってもそんなに何人も必要な訳ではないですし(せいぜい2人で十分)、ある意味安定収入でもあるので他にもやりたい協力隊メンバーもいるんじゃないかと思っています。だとすれば当てには出来ないというのが私の見解です。じゃあ一人目の様に何かやりつつアルバイトをして生活するのか?この4人の中ではもしかしたらこれが一番近い形態になるかもしれません。

私が引っかかっているのは(4人目の家業を継ぐ人はともかく)、卒業した人が協力隊から完全に独立して林業を中心とした事業をたてられていないというところです。もちろん人によってそれが適不適であったり色々なタイミングもあるので一概にどうという事は言いませんが、私としてはあまり協力隊との関係をズルズル続けるというのは解としては正しくないのかなという認識だからです。

それは何故か。端的に言うと居心地がいいからと古巣に居続けると、それが日常になって気持ちに甘えが出てくるからです。そうなると協力隊当時に持っていた将来に対する野心の様なものはどんどん萎んできて、最終的には自分が何をしに来たのかがわからなくなりそうなんですよね、だから私はその判断はしたくないです。

じゃあ、だからといって協力隊との関係を卒業したら清算するのかと言えばそれも違います。せっかく築いた関係を無くしてしますのは勿体ないどころかそれ以前のレベルの話なので。じゃあどうすれば良いのか。それは自分が協力隊に頼るのではなく、協力隊に頼られる関係なら有りだと個人的に考えます。

協力隊で活動していて思うのは、ちょっとした困った場面があるという事です。例えば自動車の話。業務の時は役場から貸与されている車を使用するのは何ら問題ないですが、アルバイトで山仕事を行う場合はそれは出来ないので自家用車で山を走破する事になります。もし自家用車も4WDの軽トラや軽バンなら問題ないですがそうじゃない場合も多いと思います、特に家庭がある場合。その時に市場より格安で先輩から借りられたら便利だと思うんですよね(当然使っていない場合に限りますが)。

その他にも木工で旋盤やレーザー加工機を使いたいと思った時。勿論地域にそういった設備を持っている人はいますし、皆さん親切なのでお願いしたら指導頂けますし利用もさせてくれます。ただ、それらは結局商売道具でもあるので、取り敢えずやってみたいという時に気軽に使う訳にもいかないのも事実です。そんな時に協力隊の先輩がそういう設備を持っていれば、もっと取っ付きやすいと私は思います。

簡単なところで2つの例を挙げましたが、この他にも些細ではありますが思うところは幾つかあります。自分が協力隊を終える事になったら、そういった自分が感じた些細なところをサポート出来るような立場でありたいと思いますし、それこそが私の思う理想の協力隊との距離の置き方と考えています。

まぁまだまだ半人前の人間の戯言ではありますが(笑)。

さて、私が協力隊が終わるまであと1年と約半年。その頃に自分は一体どうなっているのか、何をやれているのか怖くもあり楽しみでもあります。

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