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『らんまん』の主人公であった牧野博士ゆかりの土地である横倉山へ遂に行ってきました。
今回参加するきっかけとなったのは、現在参加している高知森林インストラクター講習の縁から参加する運びとなりました。
そんな縁から今回のツアーの参加者はインストラクター講習参加者が中心だったのですが、それ以外の参加者も数名おり一般参加者は全部で20名位だったと思います。
そして今回のツアーガイドは横倉山自然の森博物館の館長を以前務められていた斎藤氏、サブガイドに加藤氏という形で、その他にインストラクター養成講座で講師を務められている方が3名程度と森林インストラクターが2名程度といった陣容でした。
さて、今回ツアーで訪れた横倉山ですが、牧野博士所縁の土地というだけでなく、それ以外にも特徴をお持ちでして、
一つは地質・古生物学的に特徴があるという事。これはどういう事かというと、横倉山は日本最古の古生代オルドビス紀(約4億5,000万年前)の化石の産地であり、デボン紀後期(約3億6,000万年前)の日本最古の植物化石が日本で2番目に見つかった場所、更には古生代の示準化石である『筆石』唯一の産地だという事。また、横倉山を構成する4億年代の地層、岩石は、かつて赤道付近に存在した超大陸『ゴンドワナ大陸』を構成していた黒瀬川微小大陸の一部で、つまりは横倉山ではゴンドワナ大陸の断片が観られるそうです。
これについての知識は全然ないので言える事は特にないのですが、それでも時間軸の長さについては壮大さを感じますし、ゴンドワナ大陸との繋がりがここにあったという事実も、なんかロマンを感じますよね。
もう一つは歴史のある場所という事。これは、四国最古の『経筒(お経を入れる筒)』等の遺物が発掘されている事も含めて800年以上前から土佐国唯一の修験道霊場として栄えた事実が有る事、源平合戦に敗れた安徳天皇一行がここ横倉山まで落ち延びてきたという『安徳天皇潜行伝説』があるという事に起因します。
安徳天皇潜行伝説については全国各地に説が有ってどれが正しいとかは全然わからないのですが、ここ横倉山には安徳天皇陵墓参考地が在り(なんと宮内庁管轄!)、行在所跡もあります。そしてここで横倉山が修験道霊場であった意味が出てくるのですが、山伏は修行の為に全国を回る事から、逃亡者や密使が山伏に変装して行動したりしていた事が普通に行われていたので、もしかしたら安徳天皇一行もその格好でここまで落ち延びてきた事もあり得ますし、山伏の特性上全国各地の情報を知りうる存在でもあったので、中央政府の動きを知る為にも横倉山に居を構えるというのは強ちあり得なくもない話でもありますよね。
そんな訳で現地集合組とツアーバス組が合流して説明を行った後登山開始です。
登山口から少し歩くと、アカガシとにヤブツバキが乗っかった形になった木がお出迎えです。
不思議ですよね。こんなんでも樹木は成長するんですね。
そしてガイドさん曰く、1本の木に対しては1種類の動物しか原則として住まないらしいのですが、こういった木には複数の種類の動物が棲むそうで、実際にこの木を調査したところモモンガとムササビの共生が確認されたそうです。(聞き間違えたりしている可能性が有るので、違っていたらすみません)
そしてこの木の近くには『シイノトモシビタケ』という夜に光る茸が生える倒木があるという事も教えてもらいました。時期になると三脚を構えた人でいっぱいになるみたいです。
そして暫く登山道を進むと神社が見えてきます。
名前は杉原神社(かつて修験道が盛んであった頃は、中之宮と呼ばれていたそうです)というそうで、祭神は平家の守護神熊野権現との話です。この写真では社殿全体が全然わからないのでアレですが、見た正直な感想としてこんな人の少ない山中に随分立派な構えの神社があるなぁと感じたところです。
拝殿自体にも色々と手の込んだ彫り物がされており、裏手には干支の彫り物も存在します。彫り物の中には色彩が見られるものもあったので、かつては華やで存在感のあった社殿であろう事が想像できます。そして社殿が華やかという事はそれだけの崇敬を集めていたという事ですし、杉原神社に至るまでの参道には商店が軒を連ねていたという話もガイドさんから伺いました。
社叢には立派な杉が植わってますが、これも多くは修験者が植えていったみたいです。凄い!
杉原神社を出て少し進むと今度は山小屋がありますが、そこに『安徳水』という看板が有ります。
この山小屋の場所に水道が有ったので、この看板を見た当初はそれが安徳水なのかと思ったのですが、安徳水自体はその山小屋の脇の道を少し下った場所にありました。(徒歩1~2分)
生水なので当然の如く直接飲む事は危険ですが、触るとひんやりして気持ち良いです。
過程でまた色々と植物の説明を受けながら進んでいくと、鳥居が見えますがそこが横倉宮になります。
横倉宮のご祭神は安徳天皇で、安徳天皇が亡くなられた1,200年に平知盛が横倉山山頂に社殿を構えたのが始まりの様です。本殿は春日造り、拝殿は流造りという構成です。私は神社の建築様式について全然詳しくないので何とも言えませんが、春日造りの本殿は近畿圏に多くみられる様式なので、その辺りはもしかしたら知盛が天皇の気持ちを偲んで、京の都で見慣れた(熊野権現本宮の奈良も近畿ですし)様式にしてあげたのかもしれませんね。
そして横倉宮の脇には『ヨコグラノキ』があります。
ヨコグラノキはそれこそ牧野博士がこの横倉山で発見し命名した樹木なのですが、博士は当初この木を横倉山固有種と考えたようですが、その後日本各地で見付かり落胆したというエピソードもあったみたいです。
ここまで来たところでちょうどお昼の時間になったので、横倉宮からほど近い場所にある畝傍山眺望所まで移動してそこで昼食時間になりました。
その時はサブガイドの加藤氏と一緒に食事をしていたのですが、話を聞くと偶然にも彼も越知町の地域おこし協力隊のようで(しかも現在3年目)、今の活動や協力隊卒業後の話なんかをして盛り上がりました。その他にも『耳なし芳一』の怪談が越知町が由来?みたいな話も教えてもらいました。確かに越知町は安徳天皇陵墓参考地でもある事から、そういった可能性はあり得ますよね。
お昼休憩が終わると最後の目的地である安徳天皇陵墓参考地へ向かって歩きます。そこは横倉宮から眺望所へ向かう道の間に在るので、暫くは来た道を引き返す形になります。
この看板以外にも新しい看板が立っていたのですが、そこにもしっかり『宮内庁管轄』とあります。
天皇陵墓っていうのは今まで訪ねた事が無いので知らないのですが、どの陵墓も宮内庁が管轄しているのでしょうか?なんかそれだけでインパクトがあるというか、雰囲気があるというかそんな印象を受けます。
因みに陵墓参考地とは言ってもお墓とか何かがある訳ではなく、それらしいところを柵で囲っているだけのものなので、正直言ってまぁいまいちピンとはこないです🤔
以上で今回の観察ツアーは終了し下山という運びになりました。
あとがき
今回は横倉山自然観察ツアーという事で主題は横倉山の自然を知るというものなのでしたが、越知町について知らなかった歴史を知る事が出来たのが、今回参加してみて一番面白かったです。私自身が歴史が好きという事もありますが、それと同時に私の出身である北海道にも源義経伝説が幾つも残っており、亡くなった人が実は生きていて逃亡していたみたいなそういうところで少しのシンパシーを感じたというのもあるのかもしれません。
植物に関しては取り敢えずシーズンになったらパートナーと一緒に再訪して、花の写真を撮るだとかそういう事をしてみたいとは思います。
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