本文
年末休暇に入り走り収めを兼ねて高知市内にある『大津城跡』に行ってきました。

地図上には大津城跡とはありませんが、『古城八幡宮』とあるのが所謂『大津城跡』になります。
因みに大津城とは土佐守護細川氏の家臣である天竺氏の居城として築かれた城郭のようですが、詳細は不明のようです。
わかっている歴史としては、<天文16年(1547年)に長宗我部国親が大津城を攻略し城主・天竺孫十郎花氏を攻め滅ぼした以降は長宗我部氏の持ち城となり、天正2年(1574年)に長宗我部元親が幡多郡を平定すると、元親は一条兼定の嫡男一条内政を大津城に移し、内政は元親の娘を娶ると、以降は大津御所とも呼ばれた。天正8年(1580年)元親の家臣で妹婿である波川清宗が謀反を企むと、内政もこれに加担したものと疑われたため伊予に追放され、その嫡男一条政親は元親の家臣久礼田定祐に預けられた。よってこのときに廃城になったものと思われる。>とWikiにはあります。
ただ、落城の件については諸説あるそうなので、Wikiに記述がある事が必ずしも正しいとは限らないです。


天竺神社から古城八幡宮への行き方が解らなく、取り敢えずR195を西に進むと神社の入り口が見えました、それが古城八幡宮の入り口になります。

手前に線路っぽいものが見えると思いますが、それは本当に線路で土佐電の線路になります。なので古城八幡宮に入ろうとすると国道と鉄道を渡ってから境内に入る事になります。


石段を登りきるとL字となっており、曲がった先を見ると拝殿が見えます。
拝殿周辺は若干開けており神社に至るもう一つの道がありましたがここでは割愛します。一応そっちの道も歩きましたが、どっちがマシかと言われれば『…🤔』な感じです。また、石碑とかそういうものはありませんでした。
Wikiによると遺構として土塁、堀、曲輪、土橋がある様ですが、私の知識不足で歩道からはその雰囲気はあまり感じられませんでした。
大津城跡としては以上になります。
立地としては舟入川を見下ろす小高い丘の上に城郭があった事になるので、そこの舟運や陸運を管理?監視?していた感じになるんでしょうか。またその奥にある国分川までは平野なので見通せたでしょうから、その辺りも何かあっても気付きやすかったのでしょう。

そして話は少し変わりますが、古城八幡宮の最寄り駅はとさでんの清和学園前という駅になるのですが、道路を挟んだ向こう側にも駅が見えます。一見その駅は清和学園前かと思っちゃいますが、なんとれっきとした別の駅になり、『一条橋』駅と言います。なんでもこの2駅間は日本一駅間が短い駅と言われているそうです。まぁ確かにこの距離感は短すぎると本当に思います、どうしてこの距離感で駅が作られたのか気になります。

そう言えばツーリングと言いながら、バイクの写真が1枚もなかった。

コメント